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2007年10月24日 (水)

感動そして涙

年のせいか最近やけに涙もろくなって、ついつい涙がドット出て止まらなくなることがある。私は仕事柄、色々の団体主催の経営セミナーに参加することが好きであるが、日本合理化協会もそのひとつである。この協会の牟田学理事長より毎月”繁栄への着眼点”という、手紙が送られてくる。10月のタイトルは ”事業も、人も、物も、生かされて栄える” というタイトルであった。ちょっと長くなるが、私と同世代のひとには、共感するところがありそうなので、その文章をそのまま、掲載させてもらう。

この夏は暑かった。その暑い日に、大勢様の前で講演をしていた。ふと、演壇の上の大きな水差しを見たが、そこには、その水を汲むグラスがなかった。話が、佳境に入ると、とても途中で止めるわけにはいかない。ところが、人間は妙なもので、グラスがないと分ると、急に喉が渇いて、声を出しにくい状態になることを経験した。これには懲りた。そのときは、講演を終えて、控え室でゴクゴクと水を飲んだが、これは本当に生き返るほど美味しかった。思えば、小さなグラスは、無機物なのである。決して生命体ではない。しかし、、一杯の水を注いで渇いた喉に流し込むと、まるでグラスは、私にとって生き物のようにありがたかった。生命体でないグラスを、私自身が強く必要として、生かしているとさえ実感できた。私はいつも、そう思うことにしている。

持丸寛二さんは、北九州生まれだが、仙台で東北電子専門学校を創った。随分前のことだが、6月の日曜日に、新聞をみながら、「美味しいミカンが食べたいなあ」とつぶやいた。彼の奥さんがすぐ傍らにいて、その独り言が耳に入った。長いこと連れ添った奥さんは、彼がミカンを好きだと知っていた。だから、当時としては全く物珍しかった季節はずれのミカンを、しかも、つやつやしたミカンを何処からともなく、持丸さんの前に、四つ、五つ、置いたというのだ。当然のように、持丸さんは、「おいしいな、おいしいな」と、言いながら食べていた。何気なく、本当に何気なく奥さんの方を見ると、ヘタが腐って青くなった物や、しわくちゃなミカンを選って食べていたのだ。「アレ、俺はこんなにおいしいミカンを食べているのに・・・」と、持丸さんは思った。

その夜の食事が気になって、見ていると、自分の皿には尾頭付きの魚が乗っていた。しかし、奥さんの皿の上には、尻尾しか乗っていない。それからは、気になって色々と見ていた。奥さんは下着でも自分のものは、何度も洗濯し針を入れた物を大事に着ていた。彼は、いつもきれいな下着をきて、糊の利いたワイシャツを、毎日毎日着替えていた。「ああ、俺はこいつがいたから、いい仕事ができたんだなぁ」と、感じた。それからは、奥さんをとても大事にしようと思った、と話してくれた。

以上がその、一部であるが、感動そしてこみ上げる涙を拭きながら、改めて奥さんを大事にしようと思った。